市内単独移動 [旅 munich2008]
2008年8月3日(日)18:00ごろ
レゴランドからミュンヘンに帰ってきました。
従妹は、これから居酒屋でアルバイトです。
和風の赤ちょうちんの店で、日本のガイドブックにも載っています。
いよいよミュンヘン最後の夜なんですが
日本からもってきた救援物資を、まだ従妹に渡していません。
救援物資とは、せんべい、ふりかけなど
こっちで入手しにくい日本の食料品などです。
それで、一旦全員でアルバイト先に行き、場所を確認した後
私だけホテルへ行って、救援物資を取ってくることにしました。
図で表すと、こうなります。
地下鉄1本、バス1本のシンプルな経路で
昨日も、おとといも乗った路線だから不安はなし。
順調に行けば往復1時間と見積もりましたが
実際は、1時間半ぐらいかかりました。
レゴランドの袋を抱えた東洋のオッサンの「プチひとり旅」です。
私が履いていたクロックスには、ミッキーマウスのジビッツがついてまして
地下鉄で相席になったお姉さんは、それを見て「かわいい」と。
バスに乗ろうとして、扉を開けるのに失敗!
これまた、一緒にバス停で待っていたお姉さんに助けられたりと
紆余曲折がありながら、無事に往復。
19:30ごろだったが、まだ外は明るい。
待ちくたびれた長男が、居酒屋の外の道端で遊んでました。
「うぉーい!着いたぞぉ」
わが家族は、多少心配しながら父ちゃんの帰りを待っていた模様。
居酒屋周辺の風景です。
まずは居酒屋のオーナーに
「従妹がお世話になってます」とご挨拶。
「よく来てくれたね」みたいな感じで
記憶はあいまいだけど、キリンが現地生産しているという白ビールをおごってもらいました。
つまみは、冷奴、たこ焼きなど。
メニューを見ると、少々寒いダジャレのオンパレード。
ダジャレは全部忘れてしまいましたが
1つだけ覚えているメニューが「冷やごはん」。
常時あるのでななく、(あれば出します)的なスタンスでした。
海外生活も長くなると
ふと、無性に冷やごはんが食べたくなるときもあるんだろうと
なんとなく納得できました。
ミュンヘン最後の夜です。
荷造りもあるし、明日は長旅。
遊びつかれた子供らを早く寝かせなきゃなりません。
長居せず、居酒屋をあとにしました。
従妹とは、ここでお別れ。
次に会うのは、金沢で、かな?
救援物資のなかには、サプライズで「駄菓子」を忍ばせておきました。
おそらく現地では入手困難だろうと考えて。
従妹は、日本人の友達を集めて、救援物資パーティーを開く、とのこと。
ミュンヘンの夏2008 全行程に戻る
レゴランドからミュンヘンに帰ってきました。
従妹は、これから居酒屋でアルバイトです。
和風の赤ちょうちんの店で、日本のガイドブックにも載っています。
いよいよミュンヘン最後の夜なんですが
日本からもってきた救援物資を、まだ従妹に渡していません。
救援物資とは、せんべい、ふりかけなど
こっちで入手しにくい日本の食料品などです。
それで、一旦全員でアルバイト先に行き、場所を確認した後
私だけホテルへ行って、救援物資を取ってくることにしました。
図で表すと、こうなります。
地下鉄1本、バス1本のシンプルな経路で
昨日も、おとといも乗った路線だから不安はなし。
順調に行けば往復1時間と見積もりましたが
実際は、1時間半ぐらいかかりました。
レゴランドの袋を抱えた東洋のオッサンの「プチひとり旅」です。
私が履いていたクロックスには、ミッキーマウスのジビッツがついてまして
地下鉄で相席になったお姉さんは、それを見て「かわいい」と。
バスに乗ろうとして、扉を開けるのに失敗!
これまた、一緒にバス停で待っていたお姉さんに助けられたりと
紆余曲折がありながら、無事に往復。
19:30ごろだったが、まだ外は明るい。
待ちくたびれた長男が、居酒屋の外の道端で遊んでました。
「うぉーい!着いたぞぉ」
わが家族は、多少心配しながら父ちゃんの帰りを待っていた模様。
居酒屋周辺の風景です。
まずは居酒屋のオーナーに
「従妹がお世話になってます」とご挨拶。
「よく来てくれたね」みたいな感じで
記憶はあいまいだけど、キリンが現地生産しているという白ビールをおごってもらいました。
つまみは、冷奴、たこ焼きなど。
メニューを見ると、少々寒いダジャレのオンパレード。
ダジャレは全部忘れてしまいましたが
1つだけ覚えているメニューが「冷やごはん」。
常時あるのでななく、(あれば出します)的なスタンスでした。
海外生活も長くなると
ふと、無性に冷やごはんが食べたくなるときもあるんだろうと
なんとなく納得できました。
ミュンヘン最後の夜です。
荷造りもあるし、明日は長旅。
遊びつかれた子供らを早く寝かせなきゃなりません。
長居せず、居酒屋をあとにしました。
従妹とは、ここでお別れ。
次に会うのは、金沢で、かな?
救援物資のなかには、サプライズで「駄菓子」を忍ばせておきました。
おそらく現地では入手困難だろうと考えて。
従妹は、日本人の友達を集めて、救援物資パーティーを開く、とのこと。
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タグ:ミュンヘン
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