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たまり水 [できごと]

「たまり水」

私は今まで聞いたことがない言葉です。
「今年の新語」になるのかもしれません。

もしかしたら
福島第一原発の現場で「とりあえずそう呼んでいたもの」が
記者会見を経て、報道され、拡散したのかと。

当初、テレビ各局も「たまり水」と言っていたけど
汚染の事実が判明してからは「汚染水」と呼ばれるようになったと思う。
そりゃ当然の成り行き。


記者会見前に「この水をどう呼ぶか」について
まさか会議で決められたのだろうか?

「まだ汚染の事実はないから、『たまり水』で行こう!」

....みたいな、ネーミング会議。

日産リーフのデモカーが来た [できごと]

日産の電気自動車「リーフ」のデモカーが会社に来た。

2009東京モータショーで見たときの記事はこれ。
展示車あれこれ

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ボンネットを開けてみる。
エンジンはないんだけど、あるように見えるのは
エンジンヘッドカバー風のパーツがあるせいだ。
これはダミーというか、装飾品というか、そういうものらしい。

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充電口にコードを差し込んでみる。
いまのところ、フル充電には8時間かかり、その走行距離は200kmだとか。
上越市-新潟市を往復するとなると、ちょっと厳しい。

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ヘッドライトは複雑な形状。
光源はここにあるのではなく、もう少し内部にあるそうだ。
ここまで光ファイバーで持ってきているのかな?


車両本体価格は370万円くらいで
補助金が70万円ぐらい。

運転してみると「電気自動車は、家電に近い」と感ずる。

電気自動車が、たくさん普及すると発電所が足りなくなるのではないか。
そんなところへ今回の原発事故がありまして
どうなりますやら。

2009年、当時の鳩山首相は国連気候変動サミットで
温室効果ガスを、2020年までに1990年比で25%削減する
ことを世界に約束。

これも、仕切りなおしだろうな。

鳩山イニシア恥ブ。

ロン・ヤス [できごと]

「期限付き大連立」...中曽根元首相が谷垣総裁に。
2011年4月4日 読売新聞


米空母「ロナルド・レーガン」任務終え東北を離れる。
2011年4月5日 読売新聞


一日違いであったが、時を越えてロン・ヤスのニュースあり。

あまり関係ないが「来たかチョーさん、待ってたドン」という言葉を思い出す。

かたや大勲位、かたや原子力空母。

あのとき君は若かった。





最小不幸社会 [できごと]

地震発生以来、特に誰かを批判する気にはなりませんでした。
今もそうです。


「最小不幸社会の実現」
菅直人内閣総理大臣 施政方針演説 第177回通常国会 平成23年1月24日


「命を守りたい。命を守りたいと願うのです。」
鳩山由紀夫内閣総理大臣 施政方針演説 第174回通常国会 平成22年1月29日


コトバは、時に残酷だな。
震災前と後では、こうした言葉の受け止め方も違ってまいります。


ついでに、この一言も載せておこう。

「未曾有」
麻生太郎

これが津波の怖さか [できごと]

私が子供のころ、大人たちは
「津波は怖い」
と言っていたような気がする。


いや、どちらかといえば
「鉄砲水は怖い」
と聞くことが多かったかもしれない。


津波も、鉄砲水も、どちらも経験したことのない私には
昔からある「いいつたえ」のひとつ
としか受け止めてなかったですな。


昔の三陸沖の地震だったでしょうか。
中学生が波にさらわれた、という悲劇的なニュース。
これも「自分は知らない、昔の出来事」という感じ。


新潟地震のとき、私はまだ生まれていないのですが
「信濃川の底が見えるぐらい、水が引いていって、怖かった」
という話を最近、お二方からお聞きしました。


自分が知らない災害の話を
「民話」とか「むかし話」のように聞いていると
本当の怖さがわからない。
そして、平穏な日々が続くと、その怖さを忘れてしまう。


スマトラ島のときは
津波の映像はニュースで見ましたが
自分も、どこか遠くの話のように感じていました。


うちの子どもたちも、今はそんな受け止め方かもしれません。
彼らが大人になったとき、今回の震災のことをどう思い出すのだろうか。
親として、大したことは何もしておらず、手探り状態です。


ずいぶん前のことですが
ハワイのガイドブックを読んでいたら
ハワイ島のヒロという町に津波がきて、
「まちが消えてしまった」
と、書いてありました。


そんなにすごいものかと
にわかには信じられずにいましたが
今なら信じられます。


本当に、街が消えてますもんね。


あの、がれきのありさまは、今まで見たことがない光景です。

テレビを見てても
「うっ....わ...ぁ....」

茫然というか


「壊滅」って、こういうことなのか


ま、とにかく「忘れてはならない光景」だと思います。

県外への集団避難に賛成 [できごと]

2011年3月18日

本日、宮城県が、避難生活の長期化に備えて「県外集団避難」を検討
....とのニュースあり。

数日前、橋下大阪府知事も「疎開」と称して、同様のことを提案していた。

それがいいと思います。
昔から、そうしたほうがいいと思ってました。

「地産地消」ではないけれど、(例えが悪いナ)
「被災者が、被災地で、被災者をサポートする」ってのはかなり大変だと思います。

中越地震復旧のとき、過労死された方もいらっしゃいます。

今回、同じ悲劇が繰り返されないよう願っていますが
被災地の市長さんや病院の院長さんの悲痛な訴えに
ずしりと重いものを感じます。

一時的なガンバリは利いても、無理なことは長く続けらんない。

今回の震災では、いまだ孤立者が多数いたり
物資不足で過酷な避難所生活を強いられたり、その結果亡くなられたり

個々では最大限の努力をされていても
全体としてはうまく機能していない。
そんな状態に歯がゆさを感じ、ジリジリしてしまいます。


被災地の避難所といえば
余震の怖さはあるし、ライフラインの復旧に時間がかかる、道路事情は悪い、
物資は不足あるいはミスマッチ....と、悪条件ばかり。


もし次、大きな災害が発生したら
多くの被災者を、安全圏へ、早期に移動
こういうふうに、時の政治家が大ナタをふるってくれればいいなと思います。

今回、防災担当大臣があまり表舞台に登場してきてないようですが

ま、人のことはともかく
自分でやっておくべきは
「避難所生活を体験してみる」
「集団移動の訓練があれば参加する」
かな。

地震の多い国ですから
私も「いつかは被災者になるだろう」と思っています。

ひとり対策本部 [できごと]

2011年3月16日(水)

当地、上越市では一部で地震の被害があったけれども
全体的にみれば、平和である。

だが、中小企業の経営者層は、災害の発生に伴って
色々とやらなければならないことが生まれている。

社長一人で、「ひとり対策本部」となっている場合もあるでしょう。

社長じゃないけど、私もその一人。


今回は、11日(金)、12日(土)と地震が発生。

13日(日)は休みで自宅にいたが、
夜、東京電力の計画停電の話と菅総理の国民へのメッセージをTVで見ていたら
「月曜は会社で緊急会議をしなきゃいかんだろうなぁ...」
自宅のPCで会議資料をつくり、自分宛メールで送っておいた。



14日(月)は、管理職を集めて臨時の会議。

1.余震や新たな地震に対して、社内の安全性を高めること。
2.部品等の入荷遅延に対する顧客対応。
3.節約、節電に努めること。
4.被災地の支援について
5.出張、社外業務について

近所のガソリンスタンドが給油制限をしている、というので
そこの高校生アルバイト君に突撃取材。(店長不在のため)

東北電力が計画停電をするらしいので
いつ発表になってもいいように準備はすすめておいた。

そういった目先の仕事をこなすのとは別に、気になるのは福島の原発。

社員向けには「落ち着いた行動をしましょう」と訴えるが
「ひとり対策本部」自身は、次の展開を予想して、アレコレ準備。



15日(火)
東北電力が計画停電を16日から実施すると発表。
わが上越市が停電になる日時も決まった。

「断水になるでしょうか?」
市のガス水道局に電話取材。

そして計画停電に対応するため、緊急会議。

「市内のスーパーでカップラーメンなどが品薄」
という話が聞かれるようになった。
が、動じてはいけない。

それにしても気になる福島の原発。
新潟県防災ポータルで放射線測定の記録を見る。

夜は、銀行で勉強会。
「大事な手形も、津波で流されたでしょうねぇ....」



16日(水)

明日実施される停電に関して、社員向けの注意事項をA4一枚にまとめてみる。
それでも長文だから、読まないだろうな。
大事な点だけ、2点に絞る。

サーバーの安全なシャットダウン方法
私しか知らない手順を、もう一人に教えておかなければならない。
簡単な手順書をつくる。

放射線のことも、社内の掲示板にあげておこう。



というわけで、いままでの地震のときと比べて
「計画停電にどう対応するか」というのは、初めて加わった。

そして
「放射線に関するリスク対応」というのも、加わる....
加わらないほうが、もちろんよいのだけれど。


14時46分 三陸沖の地震 [できごと]

2011年3月11日(金)

こちら新潟県上越市。

本日の地震が起きたときは、会議室で4人で会議中だった。

「地震だ!」
最初に声をあげたのは私。

窓の外では電線が大きく揺れていた。

地震の揺れはゆっくりと、そして長く続いた。

ゆぅらゆぅら.....まだ終わらない.....まだ終わらない....

この先、揺れが大きくなるのか?
それとも収まるのか?
わからないまま立ち尽くすのみだった。

わかっていても、机の下にはなかなかもぐれないものだ。

....まだ揺れている....

今まで経験したことのない長さの揺れだった。

テレビをON。NHKが映った。
男性アナ「東京でも揺れています」

余震も、ゆっくりと長い揺れを感じた。

その後もテレビを見続け、被害が広範囲に及ぶことを知った。
東北と関東。

史上最大の被害か。

除雪風景 [できごと]

2011年2月

除雪の風景をケータイで適当に撮りました。
その中で、気に入ってる写真です。


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除雪に大活躍している重機と
それを見守る町内の長老たちの後ろ姿。
動と静。



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雪の白さと雁木の影。
明と暗。
ちなみに雁木の柱のうち、一番手前のは、急ごしらえのつっかえ棒。


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雁木の天井部分に横たえてあるのは「トヨ」。


「上越タウンジャーナル」というページで
トヨを使った雪下ろしが動画ニュースになっています。
http://jjournal.jp/archives/7073

わが町内も映っています。
近所のおじさんが映っていたので
プリントアウトして渡しました。

私も、動画と同じトヨを撮っていました。
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一斉排雪 [できごと]

2011年2月5日(土)

上越市の一斉雪下ろしと排雪で
わが町内のスケジュールはこうでした。

3、4日(木、金):雪下ろし
5、6日(土、日):排雪

排雪作業は、業者さんの仕事です。
重機やダンプで大量の雪を片付けていきます。

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予定どおり朝8時に作業が始まりました。

業者さんだけに任せることなく
住民もスコップで手伝います。

ドドドッと重機が雪を押していきますと、横に多少あふれます。
それをスコップで戻したり
雁木の柱や、電柱をスコップで掘り出したり
そういった細かい作業を、住民が担ってきました。
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これを「班ごとに行う」というのが、わが町内のしきたりです。
つまり、向こう三軒両隣が協力し合あって
それぞれの家の前を片付けるってことです。

おらんチ、やってもらったすけ
次、おまんチ、手伝うでね。
(私の家の前を片付けてもらったので、次はあなたの家を手伝いますよ。)

という感じで、お互い様なんです。
苦痛ではありません。
待ち時間には、井戸端会議的におしゃべりに花が咲いたりしています。

一斉雪下ろしから排雪までの期間は、私の感覚では「祭り」に近いです。


重機のオペレーターさんは、この日はヒーローですな。
「若いのに、うまいねぇ」
「みんな、あいさつがいいねぇ」

というわけで、午前中の作業は終了。


午後一番、業者さんから説明がありまして
「細かいところも我々がやりますので、皆様は休んでいただいて結構ですよ」と。

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たしかに安全性を考えると
われわれ住民が、ちょこまかと動いていないほうが
業者さんはやりやすいでしょう。

引き下がるときは、あっさりと引き下がる我ら。
おかげでゆったりとした休日を過ごせました。

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夕方にはマイカーの出入りも一部可能となり
「クルマのない生活」も3日目で終止符が打たれました。


今後、班による共同作業が必要なくなるのは、少し寂しい。

でも、高齢化や空き家が多い現実を考えれば、それも時代の流れか。

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